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コラム詳細

2010/08/01掲載
弥次喜多道中の旅行プラン
以前、このコラムで「東海道中膝栗毛の発端(はじまり)」を紹介し、次回は弥次喜多道中の旅行計画を分析すると予告した。今回は、プランの根幹であるタイムとコストについて記す。

弥次喜多道中は、取り敢えず目的地だけを決めた気ままな旅ということが、「発端」にも書かれているので、大した計画はなかった筈だ。そこで、一般庶民の伊勢参りについて紹介したい。

江戸から伊勢までの旅程は片道15日前後、1日に30Kmから40Km進んだようだ。日の出とともに出発し、明るいうちは歩き続ける。浜名湖(新居)や桑名あたりでは乗合い船も利用した。また、天候が悪ければ歩くスピードは落ち、川止めになれば進めない日もある。やはり予定通りにはいかないことが多かったようだ。ハチャメチャな旅を続ける弥次喜多コンビには、遅れても後工程に影響がでる筈はないが、途中で籠や馬も使って遅れをキャッチアップし、15日で伊勢に到着している。

旅行費用は、川の渡し賃、馬や籠などの交通費、旅籠代や昼食代、茶店代や草鞋代、参拝料、祝儀(チップ)など、総額で4〜5両は必要だったようだ。この金額を現在の貨幣価値に直すといくらなるだろうか。換算レートには諸説があるが、蕎麦1杯=16文、労働者の日当=300文などを基に計算すると、1文=25〜30円になり、総額は50万円前後にもなる。当時の江戸庶民の年収が20数両だったことを考えると、かなりの出費だ。以下に、1文=25円としたときの具体的な費用の例を記す。

 旅籠代(1泊2食)=200文(5,000円)
 草鞋(1足)=12文(300円)*2日はもたない
 昼食代=60文〜100文(1,500円〜2,500円)
 川の渡し賃=水量や流れの速さによって異なる
 肩車:1人当たり48文〜100文(1,200円〜2,500円)
 蓮台:4人で担ぐので、肩車の4倍
 
江戸後期には、こういった伊勢参りが流行ったという。東海道中膝栗毛のような読み物は、旅行ガイドとして計画策定の参考になったのかもしれない。インフラや安全面に大きなリスクがあった時代に、伊勢参りをするということは、庶民が裕福になった証拠なのだと思う。では、現代の一生に一度の旅とはどんなものだろうか。(翔)

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