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コラム詳細

2010/04/01掲載
膝栗毛
先日書棚を整理していたら、昔読んだ十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が出てきた。弥次さん(弥次郎兵衛)、喜多さん(喜多八)コンビの道中記をご存じの方も多いと思う。あらためて読み直してみると、江戸から伊勢神宮を経て京都・大阪までを面白おかしく書かれており、当時の江戸庶民の文化を知る意味では興味深い。この物語は滑稽本と呼ばれ駄じゃれや狂歌などが多数出てくるが、二人の愚行や失敗談には有名なものが多い。例えば、五右衛門風呂に下駄を履いて入り底を踏み抜いた話や、安部川の渡し賃をボラれた話、意気投合した旅人に金品を盗まれて一文無しになってしまった話などである。

ところで、二人がなぜ旅にでたのかご存じだろうか。これは学校の授業では教えてくれない。どうでもいい話だが、この東海道中シリーズの後に、「旅立ちの発端(はじまり)」としてその辺りの事情が書かれているので、少し紹介してみたい。

弥次さんは、府中(今の静岡市)の出身で、そこそこの商売をしていたが、役者に入れ揚げるなど遊び好きが高じて店の金に手を出してしまい、役者の喜多さんと夜逃げ同然で江戸に出てきた。この時の心情を次の狂歌で表現している。
   借金は富士の山ほどあるゆえに
        そこで夜逃げを駿河ものかな
江戸で酷い生活をしていた弥次さんは近所の人の世話で年上の女性と結婚したが、結婚生活に飽きた弥次さんは、持参金付きの若い女との結婚を画策し狂言を仕組んで古女房を離縁した。ところが、この若い女(実は喜多さんの女)は身重で家に来た日に死んでしまった。一方、大店に奉公していた喜多さんは、奉公先の番頭と主人が亡くなり、自分が女将さんと結婚すれば店は自分のものになると企んだが、その料簡を見透かされクビになってしまった。ムシャクシャしていた二人は、伊勢にでも行って憂さを晴らそうと考えたわけである。

タイトルの「膝栗毛」とは、自分の膝(足)を馬の代わりに使う徒歩旅行のことだが、「街道てくてく旅」などのTV番組もあり、歩く旅が一部で流行っているようだ。季節は春、東海道とは言わないが自分の足で遠出をしてみたら如何だろうか。次の機会には、弥次喜多道中の旅行計画を分析してみたい。(翔)

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