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コラム詳細

2009/08/01掲載
夏は花火だ!
梅雨も明け夏真っ盛り。各地から夏祭りや花火大会のニュースが伝えられている。先日の隅田川花火大会では、1時間半ほどの間に2万発の花火が打ち上げられ、テレビ中継も行われていた。

ここで、お子さんから質問された時に困らないように、花火に関するうんちくをひとつ紹介しよう。

隅田川の花火は、享保18年(1733年)に両国で「川開き」が行われるようになったことが起源のようだ。旧暦の5月28日(現在の7月前半)に隅田川の河原が江戸の庶民に開放され川遊びが解禁になった。これが川開きである。この日は、同時に水難防止や江戸市中の悪病や病害虫の退散を祈願し、大火や凶作による死者を悼む行事が行われた。

川開きの期間は約3ヶ月で、付近の食べ物屋や見世物小屋に夜間営業が認められ、たいそう賑わったようだ。花火は、両岸の水茶屋や船宿が献上花火を上げたのが始まりといわれ、3ヵ月の間ほぼ毎日のように花火が上がったという。当時の花火は、現代のように派手なものではなく、天に上がる花火を死者への供養と、今を生きている命への祈りが込められていたのかも知れない。

花火を上げる花火師という商売は江戸時代に誕生し、「鍵屋」が江戸の花火を独占していたが、川開きが始まって70年ほど後、鍵屋の番頭が暖簾分けして「玉屋」として独立した。以降、鍵屋と玉屋は技術を競いあったが、玉屋は火事を出し江戸追放となった。しかし、追放後も川開きの花火では「たまや〜」の掛け声が多かったようだ。

ところで、落語に「たがや」という名作がある。川開きの日の両国橋たもとの雑踏を舞台した噺である。仕事を終えた箍屋(たがや=桶の「たが」を売る商売)が、人込みで身動きが取れないなか、荷物の箍が外れ、すれ違った侍の笠をはじき飛ばしてしまう。恥をかかされた侍に平身低頭して謝る箍屋。何をしても承知しない侍。両者のやり取りや野次馬の会話などが噺家の絶妙な語り口で、面白おかしく展開していく。

この落語の結末は、じっと我慢していた箍屋が開き直って反撃にでて、侍の首を刎ねてしまう。空中高く飛んだ首を見た群衆が「たがや〜」と叫ぶ・・・。

さあ、出かけよう。夕涼みもかねて、お近くの花火大会へ。(翔)

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