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コラム詳細

2013/11/01掲載
犯罪とは何か
皆さんは、「犯罪」の定義を説明することができるだろうか。日本の刑法では、犯罪が成立するための要件として3つの条件を定めている。1つ目は、刑法にこういう行為は犯罪にあたりますと明確に事前に規定されている行為(構成要件)であること。いくら社会常識やマナーに反していたとしても、構成要件に該当しなければ罰せられることはない。2つ目は、その行為に違法性があること。医者が患者に手術でメスを入れて身体に傷を付ける行為は構成要件には該当するが、違法性がないので当然罪には問われない。3つ目は、責任能力があること。刑事未成年者や精神障害者の行為は責任能力がないとされ、犯罪は成立しない。

法さえ犯さなければ何をやっても良いと言う訳ではないが、法に従うことが法治国家の成立するための最低条件であり、民主主義の根幹を成すもので、それ以上の義務は本来ないはずである。しかし最近は、目覚ましい技術革新や社会環境の変化に法律が追いつかず、法律制定時には想定していなかった事件が多発している気がする。「社会規範」や「一般市民の感情」に照らし合わせて、当然「犯罪」として断罪されるべき事件が、前記3要件(特に責任能力)に該当しないために「無罪」となることは、感情的に理解しづらい面もある。だからといって、時の権力者の恣意的な判断が横行する独裁社会や、法的義務はないのに理屈抜きの理不尽さを甘受せざるを得ないムラ社会は真っ平御免である。

最近では、裁判員裁判で下された死刑判決が、控訴審で減刑される判例が複数出始めている。何の落ち度もない被害者が理不尽にしかも無残に殺されたのなら、当然に加害者は極刑に処すべしとの「一般市民」の感情と、一人「しか」被害者がいないのなら過去の判例に則って死刑は回避すべしとの裁判所の理念に温度差があることが示され始めている。

魔女裁判になってしまうことは避けなければならないが、誰もが事件の被害者になる可能性はある。時代の流れを取り入れて、そろそろ加害者の人権ではなく被害者およびその家族の想いを重視するような判決を期待したいものである。(七対子)


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