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コラム詳細

2012/03/01掲載
民の目
昨年暮れ、北朝鮮の金正日総書記死去のニュースが駆け巡った時に、これを機に北朝鮮の現体制が崩壊して、国際社会や日本が抱えている懸案事項が大きく動き出すのではないかと期待(亡くなった人には失敬かもしれないが)を抱いた方も多かったのではないだろうか。しかし、その期待も、体制が三男の正恩氏に引き継がれ、大きな混乱もなく粛々と移行されている様子を見て「結局は相変わらずなのか」と萎んでしまった。

特に、白けてしまったのが国葬のシーン。大雪の中、棺を載せた車が現れるやいなや一様に悲しみに打ち震え、胸をかきむしるように泣き崩れる平壌市民の姿(演出?)を見せつけられると、「失政の連続で危機的状況を招いた指導者の死が、あなたたちは本当に悲しいのですか?」、「自分たちを苦しめ続けた張本人が誰なのか見えていますか?」と問いかけてみたくなる。

五木寛之氏が、近著『下山の思想』(幻冬舎新書)で「民」ということばに触れている。漢字の成り立ちから見ると「民」という字は「目を針で刺すさまを描いたもので、目を針で突いて見えなくした奴隷を表す」そうだ。だから、「国は民の目に針をさす存在である。『知らしむべからず』というのは、古代から国家統治の原点だったといっていい」と述べている。

五木氏の説を参考にすると、北朝鮮の人たちは、何も知らされずに目を見えなくさせられた「民」そのもののように思えてくる。何も見えていない人たちの目から流れる涙はおそらくは真実の涙ではないのだろう。そして、情報化が進む中では、国外から様々な形で入ってくる情報の方が、政権内部から伝えられる情報を凌駕することになるはずである。そうなれば北朝鮮国民の目も徐々に見えてくるようになるに違いない。

翻って日本国内を眺めると、こちらは、政治がやっていることがまったく見えてこない。通常国会が会期中のはずなのだが、法案の審議どころか、与党内ですら法案を決めることができないありさまだ。来年度予算、震災復興、社会保障、消費税等々、国民は非常に注目しているのだが、一向に政治の動きが見えず歯がゆさすら感じる。意図して国民に「知らしむべからず」としているとは思えない。むしろ、政局の気配を感じ、次の選挙のことしか頭にない政治家自身の本心が透けて見えてしまう。今の国会には、国民を見ていない「政治民」は必要ない。(歩)


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