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2010/09/01掲載
泣くな、本田
今年も夏の高校野球が幕を閉じた。球児達は無心で自分のために全力投球しているだけだが、周りが勝手に盛り上がって感動したりしている。筆者の母校は地方大会の1回戦から休校になり、バス30台以上を連ねて全校生徒が地方球場に応援に行くほどの高校野球熱の盛んな学校であった。勝てば次の試合日も休校になるので、野球に興味のない生徒も必死で応援したものだ。かく言う筆者自身も小学生時代からの熱烈な高校野球ファンである。

今大会で個人的に最も印象深かったのは、1回戦の仙台育英と島根・開星の試合である。開星1点リードの9回表 2死、仙台育英の日野が打ち上げた飛球はセンター本田のグラブに収まったかに見えた。開星のエース白根は勝利の雄叫びを上げて整列のためにホームベース付近まで歩み寄っていた。が、次の瞬間、甲子園特有の「浜風」に押し戻された白球は芝生の上にぽとりと落ちた。結局、開星は1点差でこの試合に敗れることになる。

このプレーを見てすぐに、1984年の選抜大会準決勝、宮崎・都城−PL学園の試合が筆者の脳裏をよぎった。桑田・清原のコンビが新2年生となったPL学園は、ダントツの優勝候補として甲子園に帰ってきた。PL圧倒的有利の前評判だったが、好投手・田口(元ダイエー)を擁した都城はがっぷり四つの戦いをしていた。延長10回までゼロ行進。11回裏も 2死一塁から打者・桑田がライトへ平凡な飛球を打ち上げ、12回突入濃厚の気配が漂った。ところがチェンジと思われた打球を都城のライト隈崎がグラブに当てて落球。その間にサヨナラの走者が本塁を駆け抜けた。まさか、まさかの幕切れ。敗戦の責任を一人で背負った隈崎は泣き崩れた。

翌日の新聞には「泣くな、隈崎」の見出しが躍った。だが大舞台での汚名は同じ舞台で返上するしかない。ライトのレギュラーとして夏の甲子園に帰って来た隈崎は、1回戦の足利工高戦で本塁打をかっ飛ばした。全国から届いたダンボール数箱分という手紙に励まされ、屈辱をバネに努力した結果だった。

開星の本田も、終生この落球の悔しさを背負って生きることになるだろう。しかしこれほどの憂き目にあっていれば、長い人生、大概の事は乗り越えて行けるはずである。高校生にして、人生最大の試練に直面した本田選手に贈りたい。
「泣くな、本田。これからの人生も頑張れよ」(七対子)

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