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2020/01/01掲載
白ける結末
刑事ドラマとかサスペンスドラマが好きだという方は多いだろう。筆者も好んでよく観る。しかし、最近この手のドラマを観ていて気になることがある。それは、様々な証拠を突きつけられて、追い詰められた犯人が、観念したかのように自白する結末が実に多いということだ。これまでの経緯や動機から始まりついには犯人しか知り得ない事実までも、懇切丁寧にとても分かりやすく白状して、最後はおとなしく連行されていくというパターンが目立つように思う。

テレビドラマは時間枠があるからその枠内ですっきり解決させるためには、事情を一番よく知っている真犯人に説明させた方が手っ取り早いのだろうが、現実離れした演出に少々白けてしまう。現実には自分の犯行を自らの口でペラペラをしゃべってくれる犯人は少ないのではないだろうか。むしろ、どんなに証拠が揃っていても、決して認めようとしないとか、連行されそうになっても最後まで抵抗を試みるような犯人の方が多いはずだ。往生際が悪ければ、捕まった後でも何とか逃走できないか考える者もいる。実際に警察の面会室から被疑者が逃げ出す事件や、保釈取り消し後の収容時に被告が逃走する事件もあった。

令和元年10月から12月までの第200回国会は、「桜を見る会」の疑惑追及で大騒ぎだった。しかし、国会を見ている国民にしてみれば、大騒ぎをしている割には一体何を審議したいのかがよく分からなかった。最初は首相による会の私物化の話かと思っていたら、次は名簿破棄したことの追求になった。その内にマルチ商法の宣伝に会が利用されたのではないかとの疑惑へと変わった。追求の矛先が次から次へと変わり、なおかつ、いずれの追求手段も、野党議員が重箱の隅を突いたような事実にもとに、「これを説明しろ」だの「あの資料を開示しろ」だのといったものばかりだ。これでは、相手に「自分の罪を告白しなさい」、「自ら証拠を出しなさい」と言っているのと同じだ。

しかし、不確かな事実や断片的な証拠だけでは追い詰めることはできないことは自明だ。「そのような事実は確認できなかった」とか「証拠となる資料は決められた通りに廃棄した」とのらりくらりとはぐらかし続け、最後は時間切れとなるのが目に見えていた。国民の税金をつかってオチのない国会を演出されても国民は白けるだけだ。国会を茶番劇で終わらせないでほしい。(歩)
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